hukuyama1現在、テレビドラマやCMに出演されるだけでなく、バラエティ番組、教養番組、とジャンルを問わず、幅広く活動されている福山雅治さん。

ラジオDJ、写真家でもあります。

また、シンガーソングライターとして、ミリオンヒットを連発され、オリコン1位の常連でもあります。

そのような福山雅治さんにも、苦労された過去があるそうです。

そのデビューのきっかけは、何だったのでしょうか?

オーディションは、どうやって知られたのでしょうか?

また、当時の特技やバイトがユニークなのだそうです。

本当なのでしょうか?

そのようなことを、家族構成などを含め、さっそく調査してみました。

 

 

プロフィール

名前 福山雅治
生年月日 1969年2月6日
出身 長崎県長崎市
身長 181㎝
血液型 O型
出身校 長崎工業高等学校
所属 アミューズ

1988年 『アミューズ・10ムービーズオーディション』に合格。『ほんの5g』にて映画初出演。
1990年 シングル曲「追憶の雨の中」にて歌手デビュー
1991年 ラジオ番組『ROCK AGE』にてラジオDJデビュー。『あしたがあるから』にてテレビドラマ初出演。
1992年 『愛はどうだ』にてレギュラー初出演。挿入歌の『Good night』がヒット。
1993年 『ひとつ屋根の下』に出演。大ブレイク。5枚目のアルバム『Calling』にて初オリコンアルバム1位。
1994年 9枚目のシングル『IT’S ONLY LOVE/SORRY BABY』にて初オリコンシングル1位。ミリオンセラー。
1995年 10枚目となるシングル『HELLO』にてオリコンチャート初登場1位獲得。マキシシングル初ミリオンセラー。シングルコレクション『M-COLLECTION 風をさがしてる』 にてミリオンセラー。初アリーナツアー『FUKUYAMA MASAHARU M-COLLECTION WE’RE BROS. SPECIAL ’95』開催。『いつかまた逢える』にてドラマ初主演と月9ドラマ初主演。
1997年 『ひとつ屋根の下2』に出演。
1998年 『めぐり逢い』にて主演。
1999年 月9ドラマ『パーフェクトラブ』にて主演。
2003年 『美女か野獣』にて主演。
2006年 初の写真作品集発売。
2007年 『ガリレオ』にて主演。
2008年 映画『容疑者Xの献身』にて初主演。
2009年 映画『アマルフィ 女神の報酬』に出演。
2010年 NHK大河ドラマ『龍馬伝』にて主演。
2011年 映画『アンダルシア 女神の報復』に出演。
2013年 映画『真夏の方程式』にて主演。映画『そして父になる』にて主演。
2014年 『るろうに剣心京都大火編 / 伝説の最期編』に出演。

 

家族構成は?上京時には、何と言った?

福山雅治さんの家族構成は、ご両親と、1歳年上のお兄様がいらっしゃって、4人家族だそうです。

2人兄弟だったのですね~。

福山雅治さんは、そのお兄様と、中学生の時から、『Lar』というバンドをご一緒に組まれていたのだそうです。

そのお兄様のご職業は、陸上自衛隊の自衛官、だそうです。

その福山雅治さんのお兄様はご結婚もされていて、お子様もいらっしゃるのだそうです。

それから、福山雅治さんのお父様は、麻雀などのギャンブル好きで、家にはほとんど帰って来られなかったそうです。

そのため、福山家は、お母さまのパートで、家計をやりくりされていたのだそうです。

ただ、そのお父様は、福山雅治さんが高校2年生の時に、ご病気で亡くなられたそうです。

福山雅治さんは、そのようなお父様であっても、恨んではいないのだそうです。

どういうことでしょうか? 普通だと恨んでもおかしくないような気がしますが。

それには、実は理由があるそうで、福山雅治さんのご両親は、戦争中に、長崎で被爆されているそうで、そのため、その後遺症から逃れるために、お父様は、ギャンブルに逃げられていた可能性があるそうです。

そうだったのですね~。

その福山雅治さんの出身幼稚園は、私立宝珠幼稚園、なのだそうです。

また、出身小学校は、長崎市立稲佐小学校、だそうです。

出身中学校は、長崎市立淵中学校、なのだそうです。

それから、出身高校は、長崎県立長崎工業高等学校、だそうです。

その高校ご卒業後は、福山雅治さんは、電機メーカーに就職され、営業職、をされていたのだそうです。

しかし、その会社は、4ヶ月ほど勤められて、辞められたそうです。

というのも、福山雅治さんは、その仕事が向いていないと思われたのだそうで、また、上京されたいという気持ちもあったためなのだそうです。

その上京の日には、ご友人が長崎駅までお見送りに来てくれたそうですが、正直に「ミュージシャンになる」、とはおっしゃらなかったそうで、「東京で、古着屋になる」、とおっしゃったそうです。

照れくさかったのでしょうか?

 

 

上京後のバイトは何をしてたの?

福山雅治さんは、そのように上京された後は、アルバイトをされ、宅配ピザ屋さん、で働かれたそうです。

ところが、当時の福山雅治さんは、まだ長崎弁なまりが消えられてなかったのだそうで、店の雰囲気に合わないという理由で、クビになってしまわれたのだそうです。

それも、たった3ヶ月、のことだったそうです。

元気に働いていたのだそうですが、それが逆になまりが目立ってしまわれる原因でもあったのだそうです。

それにしても、ちょっとひどい、と言っても良いのでは無いでしょうか?

けれども、そのことが逆に、「このまま宅配ピザ屋さんで働いている場合じゃない」、と決意を新たにされるきっかけになったそうです。

一般論として、前向きになることは良いですからね~。

しかしながら、そうは言っても、生活費を稼がなくてはならず、その後もバイトをされ、運送会社で働かれたのだそうですが、そこでも追い討ちをかけるように、給料未払いにあってしまわれ、辞められたのだそうです。

運が悪かった、と言っても良いのではないでしょうか?

それから、次は、米軍横田基地すぐ側の、立川市の山口木材(株)さん、で働かれたそうです。

そこは問題が無かったのだそうです。

その会社は、地元では、美人3姉妹が経営する会社、ということで評判だったそうです。

ようやく福山雅治さんは、ちゃんと安心して働ける場所を見つけられたのだそうです。

イケメンは、やっぱり女性には強いのでしょうか?

いずれにせよ、良かったです。

 

デビューのきっかけは、オーディション?何で知ったの?その時の履歴書に書いた特技は?

そもそも、福山雅治さんは、1988年に、『アミューズ10ムービーズオーディション』を受けられたそうです。

その『アミューズ10ムービーズオーディション』というのは、その名前のとおり、アミューズが10周年記念なので、10本の映画を撮って、その俳優を募集する、というオーディションだったのだそうです。

福山雅治さんが、そのオーディションを知ったきっかけは、新聞と、テレビのアイドル番組『美少女学園』だったそうです。

『美少女学園』!?

そのテレビ番組『美少女学園』というのは、1987年から、毎週日曜日のお昼に放送されていたのだそうで、オスカープロモーション開催の『第1回全日本国民的美少女コンテスト』の受賞者が出演されていたテレビドラマなのだそうです。

その『全日本国民的美少女コンテスト』でグランプリを受賞された、藤谷美紀さん、を主役に、グランプリ以外の受賞者の方たちも出演されていたそうで、後藤久美子さん、もゲスト出演されたそうです。

福山雅治さんは、そのオーディションに送った履歴書の特技欄に、バイト経験の、材木担ぎ、を書かれたのだそうです。

特技が、材木担ぎとは、ユニークですかね~。

けれども、履歴書に書いてしまったせいで、苦労されたそうです。

どういうことでしょうか?

というのも、福山雅治さんは、さっそくオーディションを受けに行かれ、最初の選考を終えたのだそうですが、その後も選考が進み、オーディション会場に呼び出されるたびに、履歴書に特技として書いてしまった材木担ぎを、ギターを弾くのと同じように何度もさせられたのだそうです。

え? 材木を何度も担ぐ必要って、あったのでしょうかね~。

いずれにせよ、そうしているうちに、とうとう最終選考にまで進まれたそうです。

けれども、その連絡がなかなか来なかったのだそうです。

しかも、当時の福山雅治さんは、お金がなかったため、アパートに住まわれていたそうですが、そこでは郵便物は直接ではなく、大家さんを通じて届いたそうです。

ですので、何度も確認するわけにもいかなかったのだそうで、とてももどかしかったのだそうです。

それで、以前に9万円で購入されていた車で、ドライブに出かけられたそうです。

いても立ってもいられなくなったのでしょうか?

ただ、その運転中に、車のマフラーが取れてしまわれたのだそうで、仕方なく、マフラーを拾われ、アパートに戻られたのだそうです。

そうしたら、なんと、電報がすでに届いていたそうで、「すぐに連絡をください」、ということになっていたそうです。

何というか、すごいタイミングではないでしょうか?

すでに福山雅治さんは、大遅刻だったのだそうですが、慌てて飛び出すように出かけられ、とりあえず、オーディション会場に向かわれたのだそうです。

その結果、見事、オーディションは合格。

どうやら、その遅刻したことも、結果的にはプラスに働いたようです。

それから、1988年の映画『ほんの5g』に初出演されたことが俳優デビューのきっかけだったそうです。

福山雅治さんは、後にインタビューを受けられたのだそうですが、オーディション当時を振り返り、「もしあのとき、ドライブ中にマフラーが落っこちていなかったら、デビューはなかったのかも知れない」、という趣旨のことをおっしゃったのだそうです。

スターは、逆境であっても、そのようにして、チャンスが巡ってくるものなのでしょうか?

そんな福山雅治さんの今後の益々のご活躍に期待ですね~。