hutkatuer現在、テレビドラマ、映画、CMなど幅広く長く活躍されている深津絵里さん。

深津絵里さんと言えば、『踊る大捜査線』での演技を思い浮かべられる方も多いのではないでしょうか?

その深津絵里さんのお母様は、書道家、だそうです。

本当なのでしょうか?

また、どのような方なのでしょう?

ただ、深津絵里さんのお母様は末期がんで余命宣告をされたのだそうです。

深津絵里さんのお母様はその事をブログで語られたそうです。

では、どのような内容だったのでしょうか?

そのようなことを、デビューのきっかけや家族構成などを含め、さっそく調べてみました。

 

 

プロフィール

名前 深津絵里
別名義 水原里絵、高原里絵(どちらも旧芸名)
生年月日 1973年1月11日
出身 大分県大分市
身長 156cm
血液型 O型
出身校 日本音楽高等学校~堀越高等学校
所属 アミューズ

1988年 『1999年の夏休み』にて映画初出演。JR東海『HOME-TOWN EXPRESS・クリスマスバージョン』(クリスマス・エクスプレス’88)CMに。広く知られるように。アイドル・歌手活動も。
1989年 『満月のくちづけ』に出演。日本アカデミー賞第13回新人俳優賞受賞。
1990年 『パラダイスにっぽん』にてドラマ初主演。
1996年 『(ハル)』にて映画初主演。日本アカデミー賞第20回優秀主演女優賞受賞。
1997年 『踊る大捜査線』に出演。ブレイク。
1998年 『きらきらひかる』にて主演。
2002年 『恋ノチカラ』にて主演。
2003年 『踊る大捜査線THEMOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ!』に出演。『阿修羅のごとく』にて第27回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞。
2008年 舞台『春琴』にて主演。第43回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。
2009年 2008年公開映画『ザ・マジックアワー』にて第3回アジア・フィルム・アワード主演女優賞候補に選出。映画『女の子ものがたり』にて主演。
2010年 映画『踊る大捜査線THEMOVIE3』に出演。映画『悪人』に出演。第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞、第34回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。
2011年 『ステキな金縛り』にて主演。
2015年 映画『岸辺の旅』にて主演。第68回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に正式出品。
2016年 映画『永い言い訳』に出演。
2017年 映画『サバイバルファミリー』に出演。

 

デビューのきっかけは?家族構成は?

深津絵里さんの家族構成は、ご両親と、ご本人の、3人家族だそうです。

一人っ子だったのですね~。

その深津絵里さんのお父様のご職業は、システムエンジニア、または、お医者さま、なのだそうです。

お母様のお名前は、深津諭美子さん、でご職業は、書道家、だそうです。

その深津絵里さんの出身小学校は、大分市立横瀬小学校、大分市立横瀬西小学校、大分市立稙田小学校、大分市立宗方小学校、のいずれかなのだそうです。

また、出身中学校は、大分市立稙田西中学校、大分大学教育福祉科学部附属中学校、のどちらかなのだそうです。

そもそも、深津絵里さんは、1986年の13歳の時に、『ミス原宿コンテスト』に参加されたそうです。

その結果は、見事に、グランプリを受賞されました。

そのようにグランプリを受賞されましたが、深津絵里さんの幼いときの夢は、薬剤師、だったのだそうです。

ただ、それも実は自分の意思ではなく、深津絵里さんは他の誰かが保育士さん、になりたいと言えば、「じゃあ自分も保育士さんになりたい」、と言うタイプだったそうです。

なんとなく、この頃にすでに女優さんに向いていらっしゃった気がしますでしょうか?

それから、1988年には、『1999年の夏休み』にて映画初出演されたのが女優デビューのきっかけだったのだそうです。

ちなみに、深津絵里さんは、お引越しが大好きだそうで、プライベートで、7回、も引越しをされたそうです。

7回も引越しをされるなんて、本当に引越しが好きなのでしょうね〜。

 

 

ブログで母が語ったこととは?末期がん、そして余命とは?

深津絵里さんのお母様ですが、そのお父様(深津絵里さんにとってはお爺様にあたる方)も、書道家だったそうで、ご自身は服飾デザイナーになりたくて、福岡市内、でブティックを営まれたそうです。

そして、1994年前後に、そのお店を閉められ、上京され、書道の道に入られたのだそうです。

その後、2003年ごろに、深津絵里さんのお母様は、上海大学、にて書道を学ばれたそうです。

その深津絵里さんのお母様の書道の手法は独特で、色々なものを筆代わりにされるのだそうで、歯ブラシ、ほうき、たわし、ストローなど、使われるものは多岐にわたるのだそうです。

最初は、雅号を、諭黄(ユンホン)、とされて活動されていらっしゃったそうですが、2009年ごろに、本名の、深津諭美子、と名乗るようになられたそうです。

けれども、その深津諭美子さんは、2014年11月2日付けのブログで、末期がんであることと、余命が3ヶ月、長くて1年と宣告された、ということを書かれたのだそうです。

お母様の深津諭美子さんは、そのブログを書かれた前年あたりから、体調不良を感じられたそうで、肩にしこりがあるのにも気づかれていらっしゃったそうです。

そのため、病院に行かれたところ、診断結果は、肺がん、だったのだそうです。

その切除手術を受けられたそうですが、すでに末期だったそうです。

その後は、深津諭美子さんご本人の意向で、放射線治療も抗がん剤治療もされなかったのだそうです。

ご家族は、そのご本人のご意向を尊重されたそうです。

ご家族には、なかなかつらい判断だったと思います。

それから、2014年の11月に、その深津絵里さんのお母様の深津諭美子さんは、東久邇宮国際文化褒賞、の受賞の知らせを受けたのだそうです。

そして、余命宣告の3ヶ月を過ぎ、半年が過ぎられたそうです。

少しでも、ご家族との時間を過ごせると良いですね。

そんな深津絵里さんの今後の益々のご活躍に期待します。